創作新舞踊協会「百華競演 舞踊の会」が閉幕
令和初の「百華競演 舞踊の会」が賑やかに
真乃繪吏家元がオオトリで『まだかいな~大和楽「梅」「舟」』を披露
令和新時代に入りました。そして令和初となる創作新舞踊協会主催「第29回 百華競演 舞踊の会」が元年5月26日(日)に浅草公会堂で開かれました。真乃流からは既報のとおり真乃繪吏家元以下、北陸支部(金沢)のお弟子さんも含めて9曲で参加、それぞれに日ごろの精進ぶりを披露しました。昨年まで同公演は9月に開かれていましたが、令和時代を迎えて春の5月開催に変更され、お弟子さんたちも稽古期間が短くなったのでいろいろと大変だったようです。
真乃繪吏家元は序開きの祝儀舞に続く第1部1番というしょっぱなに「道中伊勢参り」を真乃・吏邦・吏勢旬・吏勢櫻・吏容とともに踊り、オオトリで披露した「まだかいな」と、最初と最後にも出演という厳しいスケジュールでしたが、お陰様で皆さんの好評で迎えられました。
家元の「まだかいな」は新舞踊公演では珍しい大和楽から”ひともじ舞踊”として知られる「梅」「舟」をそれぞれ女、早替わりの男で踊りました。「梅は咲いたが桜はまだかいな…」と桜の開花を待つ気持ちを、恋しい男を待つ心浮かれる女の心情に移し替え、そして待ちかねた粋な姿の男が現れるという構成ですが、それを早替わりで2役を踊りつづるという趣向でした。
大和楽というのは昭和8年に創設された「昭和の邦楽」で、「平成」を送り、令和を迎えた新時代の思いを寄せて昭和生まれの真乃流が「昭和」に思いを寄せる意味を付加して選曲したものです。
大和楽は大倉財閥の二代目総帥で、英国のケンブリッジ大学にも学び、ホテルオークラや伊豆の川奈ホテルを創設した男爵・大蔵喜七郎が一中節や清元など従来の邦楽に西洋音楽の発声や輪唱を採り入れた「新しい日本音楽」として創設、発展に尽くしました。作詞には西条八十や長谷川時雨、北原白秋といった当時の文壇・歌壇の大御所たちも協力、大倉男爵自身も大和聴松の名前で作曲・演奏に活躍しています。たちまち舞踊会の人気曲になり、古典舞踊の公演に数多く選ばれています。
真乃流一門の踊り姿の一端を写真でご紹介させていただきました。オフィシャルのプロ写真家の写真の仕上がりがかなり遅れますので、とりあえずは雰囲気だけをご覧ください。
会場の浅草公会堂正面と客席風景(下段)


『まだかいな~大和楽「梅」「舟」』真乃繪吏家元


家元がオオトリに披露した『まだかいな』。(上段)桜ならぬ恋しい男を待つ女、(下段)待ちかねた男がやってきた
「道中伊勢参り」

「道中伊勢参り」の左から家元・真乃吏容・真乃吏勢旬・真乃吏勢櫻・真乃吏邦

「道中伊勢参り」左から真乃吏勢旬・家元・真乃吏邦
<「江戸の四季」真乃吏翠>

<「祇園のおんな」西野栄子(北陸支部)>

<「白雲の城」真乃吏菖(北陸支部)>

<「金沢の雨」真乃吏空(左)・真乃吏恵>

<「男の火祭り」真乃吏聡(左)・真乃吏茜>
<「友禅模様~びんのほつれ」真乃吏邦(左)・真乃吏容>

<「歌麿」真乃吏聡(左)・真乃吏晴>

<終演後、真乃繪吏家元を囲む出演者たち>

真乃繪吏家元がオオトリで『まだかいな~大和楽「梅」「舟」』を披露
令和新時代に入りました。そして令和初となる創作新舞踊協会主催「第29回 百華競演 舞踊の会」が元年5月26日(日)に浅草公会堂で開かれました。真乃流からは既報のとおり真乃繪吏家元以下、北陸支部(金沢)のお弟子さんも含めて9曲で参加、それぞれに日ごろの精進ぶりを披露しました。昨年まで同公演は9月に開かれていましたが、令和時代を迎えて春の5月開催に変更され、お弟子さんたちも稽古期間が短くなったのでいろいろと大変だったようです。
真乃繪吏家元は序開きの祝儀舞に続く第1部1番というしょっぱなに「道中伊勢参り」を真乃・吏邦・吏勢旬・吏勢櫻・吏容とともに踊り、オオトリで披露した「まだかいな」と、最初と最後にも出演という厳しいスケジュールでしたが、お陰様で皆さんの好評で迎えられました。
家元の「まだかいな」は新舞踊公演では珍しい大和楽から”ひともじ舞踊”として知られる「梅」「舟」をそれぞれ女、早替わりの男で踊りました。「梅は咲いたが桜はまだかいな…」と桜の開花を待つ気持ちを、恋しい男を待つ心浮かれる女の心情に移し替え、そして待ちかねた粋な姿の男が現れるという構成ですが、それを早替わりで2役を踊りつづるという趣向でした。
大和楽というのは昭和8年に創設された「昭和の邦楽」で、「平成」を送り、令和を迎えた新時代の思いを寄せて昭和生まれの真乃流が「昭和」に思いを寄せる意味を付加して選曲したものです。
大和楽は大倉財閥の二代目総帥で、英国のケンブリッジ大学にも学び、ホテルオークラや伊豆の川奈ホテルを創設した男爵・大蔵喜七郎が一中節や清元など従来の邦楽に西洋音楽の発声や輪唱を採り入れた「新しい日本音楽」として創設、発展に尽くしました。作詞には西条八十や長谷川時雨、北原白秋といった当時の文壇・歌壇の大御所たちも協力、大倉男爵自身も大和聴松の名前で作曲・演奏に活躍しています。たちまち舞踊会の人気曲になり、古典舞踊の公演に数多く選ばれています。
真乃流一門の踊り姿の一端を写真でご紹介させていただきました。オフィシャルのプロ写真家の写真の仕上がりがかなり遅れますので、とりあえずは雰囲気だけをご覧ください。
会場の浅草公会堂正面と客席風景(下段)


『まだかいな~大和楽「梅」「舟」』真乃繪吏家元


家元がオオトリに披露した『まだかいな』。(上段)桜ならぬ恋しい男を待つ女、(下段)待ちかねた男がやってきた
「道中伊勢参り」

「道中伊勢参り」の左から家元・真乃吏容・真乃吏勢旬・真乃吏勢櫻・真乃吏邦

「道中伊勢参り」左から真乃吏勢旬・家元・真乃吏邦
<「江戸の四季」真乃吏翠>

<「祇園のおんな」西野栄子(北陸支部)>

<「白雲の城」真乃吏菖(北陸支部)>

<「金沢の雨」真乃吏空(左)・真乃吏恵>

<「男の火祭り」真乃吏聡(左)・真乃吏茜>

<「友禅模様~びんのほつれ」真乃吏邦(左)・真乃吏容>

<「歌麿」真乃吏聡(左)・真乃吏晴>

<終演後、真乃繪吏家元を囲む出演者たち>
